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執筆者の写真Murai Toshio

「マイナーキーの正体」その9


前回までのあらすじ

旋律素材としてのハーモニックマイナースケールを検討してみました。

さて、旋律のみでマイナーキーを示すとすれば…が今回のミッションです。

次のメロディーを見てみましょう。


メロディーだけを聴いたら、多数決的にはCメジャーキーに聞こえると思います。しかし、もしコード進行がAマイナーキーならば、そのように聞こえるでしょう。


つまり、このメロディー単体ではAマイナーキーの要素は特にない、ということです。

ではこのメロディーはどうでしょうか。


今度はメロディーだけでも「ラ」が主音に聞こえます。「ラで始まってラで終わっているから」という理由が大きいのですが、それと共に属音である「ミ」の分量が増えていることも一助になっています。属音は主音をクローズアップする働きがあります。

次のメロディーです。


いよいよ真打ち登場、といったところです。

ラに向けての導音「ソ♯」が登場し、かなりの強制力を持って「ラが主音」「Aマイナーキー」という響きがします。

さらに長6度を加えてみましょう。


メロディックマイナー上行形「ファ♯→ソ♯→ラ」の動きが、より明確に「ラの主音としての立場」を表しています。

では長6度「ファ♯」を単体で使ってみましょう。


「ファ♯」の周辺に「ソ♯」がない場合には、これはマイナーキーというよりは「A ドリアンのモーダルメロディー」という解釈になります。

結果、旋律だけでマイナーキーを示すとすれば

・終止音が「ラ」。

・属音「ミ」が多め。

・「ラ」に向けての「ソ♯(属音)」。

・「ソ♯→ラ」の前フリとしての「ファ♯(メロディックマイナー上行形)」

というあたりがポイントになります。

しかし…

そもそもメロディーで「マイナー感」を示す必要があるのかどうか、を考えるべきかと。

メロディーの醍醐味は、コードに対しての立場(垂直音程)であったり、旋律の動き(水平音程)であったり、とりわけ非和声音のセンスはとても重要な要素です。

ジャズのアドリブフレーズにおいては「コード進行を示唆する旋律であるべき」という基本発想がありますが、通常のメロディーにおける背景には確実にコード進行が鳴っているので、それをまたあえてメロディーで説明する必要はありません。

それよりも上記の醍醐味(音程関係や非和声音)を優先させて、その上で結果的に「マイナー感が出ました」ならばオーケーですが、旋律でマイナー感を出すこと自体が必須事項ではない、と。

メロディーは「和声を説明しすぎない」ほうが良い場合が多々あります。特にノンダイアトニックな借用和音においてメロディーの円滑さを求める場合には、旋律には元の音階固有の音を使うほうが得策です。

次回は「マイナーキーの正体」の最終回です。

まとめます。

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